◆SUMMERY SUMMER!◆
*・*・*

恋をするのに、時間とか理屈って要るんだろうか?/
恋をするのに、そんなに簡単に答えを出してもいいのだろうか?

*・*・*

「うあっちぃ!」
「こら!暑いからって腹出すんじゃない!」

良くあることだ。こうして母親のように自分をしかってくれる、伊角慎一郎なるひと。
いつのまにか隣にいるのが当たり前になっていた。年上だけど、ぜんぜんそんな感じのしないひと。
夏も折り返し地点を過ぎた。だけど、まだこんなにも日差しは鋭く、オレの肌を焼いてくる。思わずシャツを翻して風を送りたくなってもしょうがないじゃないか。

「しかしなぁ、こうして気楽に遊んでいられるのも今だけだよな。本戦始まったらどうしたってぴりぴりするもんなぁ。」
「あーやめやめ。そんな後ろ向きな発言。本戦が楽しみだ〜もう待てねェ〜ってなぐらいいわねぇと。」
「和谷は強気過ぎるんだ。まったく、うらやましいよその性格。」

最近は伊角サンと進藤と一緒に碁会所めぐりをしてプロ試験に備えている。オレは半分ぐらい遊んでいるつもりで過ごしていた。多分この人は……それなりのプレッシャーとまた戦いながら過ごしているんだろうけど。
伊角サンははっきり言ってうまい。院生のTOPを張ってあたりまえの実力がある。でも……ときどき危うそうに見えるのはオレだけだろうか。そのうまさが、ぎりぎりに引き絞った糸のように思えてしょうがない。同じプロを目指すものとして、なんとなくそういう直感を抱いてしまうのだ。
まぁ、伊角サンなら、心配する必要なんてないだろうけど。そんなことより自分のほうが危ないとも思うし。今年こそは受かりたい。受からなきゃならない。こうして心を許せる友達として隣にいるこの人も、碁盤の前では一人のライバルだ。

「……和谷?」
「あ、わり。」
「珍しいな、お前が考え事なんて」
「……まるでいつも何にも考えてねェみたいな表現よしてくれよなー。」
「違ったか?」
「……ッ!!」

こんな自然なやり取りが、この上もなく楽しいと思える。伊角サンの隣が一番安心する。どうしてだろう。親友だから?なんだか、そう言うのとは違う気がするのだけれど。

「ったく、和谷はそうやってムキになるところがかわいいよな。」

まぶしかった。
夏の日差しのせいじゃない。そこには今にも溶けそうな、優しい笑顔があった。
そう、夏の日差しのせいじゃない。オレには伊角サンの笑顔が、まぶしくてしょうがなかったんだ。




好きだという自覚が芽生えて、3日。正直耐えられなかった。もともと我慢なんてきく性格じゃなかったんだ。性別がどうだとか、余計なことを考えるのはやめにした。いや、もともとほんの何時間も悩んではいないけど。好きなんだからしょうがない。

「伊角サンが好き。」

これはもう、告るしか道はないだろう。でも、あの人は一体どんな顔をするだろうか?それだけが怖くてしょうがない。きっと、とんでもなく困った顔をするに決まってる。世界の終わりがきたような、そんな顔で。いや、それとも冗談はやめろと言って笑うだろうか?バカにするなと怒るだろうか?
例えどんな伊角サンでも、オレは無性に抱きしめたくなるのだから、これはやっぱり恋なんだろう。いままで、多分、意識をしていなかっただけで、オレの中で伊角さんの存在は確かに大きくなっていたんだ。

「伊角サン!!」
「ああ、遅かったな。今日はどこ行こうか?新宿?それとも新しいとこあたってみるか?」
「今日はさ、ちょっと碁会所じゃなくて。一緒に来て欲しいとこがあんだけど。」
「……?別にかまわないけど?」

なんとなく、デートっぽい感じにしたかった。だから水族館に行ってみることにした。オレとしては、特に場所とかシチュエーションって気にする必要はないとは思うのだが、なんとなく、伊角サンにはこのほうが受け入れてもらえるような気がしたから。我ながら、乙女チックかもしれないとは思う。でもやっぱり、こういうのって最初が肝心って言うかなんて言うか。アー、何だろう、ガラにもなく緊張してるのか?オレが?

「オイ和谷、この魚すごい色だなぁ。俺はじめて見たよ。」
「ん?ああ、そうだな。」
「……お前から誘ったんだぞ?ちゃんと見る気あるのか?魚と一緒でお前の目、さっきから泳ぎっぱなし。」
「……。」

やっぱり動揺が隠し切れていないらしい。こうなったら早いところ言ってしまったほうがよさそうだ。客の切れ目を見計らって、水槽の角で伊角さんの腕を引っ張った。不思議そうな目でオレを見る伊角サンは、水族館の薄暗い照明の中で青く浮かび上がり――オレを必要以上に緊張させた。なんてきれいな顔をしてるんだ。小さな仕草や、瞬きさえも、オレの心を掴んで離さない。やっぱりオレはこの人が大好きだ。緊張でどうにかなりそうだったオレのわずかな不安は、確信にかき消された。

引き寄せた左そでを、更に強く握り締め、寄ってきた伊角さんの横顔に向かって、ほんの少し、背筋を伸ばすようにしてささやいた。ざわつく館内が一瞬、静まり帰ったような気がして、ひょっとして周りに聞かれてしまったかもとさえ錯覚した。単に、オレの耳に雑音が入っていなかっただけなのに。 たった一言。

「伊角サン、スキだぜ。」

刹那、伊角サンが耳まで赤くなるのが分かった。実際は、暗がりの中でそんなことが分かるはずもないのだが、なんとなくそうだろうなと思った。身体全体が、緊張しているのが分かる。声にならない声が聞こえるようだ。
ぎこちなく振り向く伊角サンと目が合う。そんな表情もしてくるだろうことは読んでた。すごく読み取りにくい表情。困っているのか、慌てているのか、照れているのか。とにかく驚いていることだけは確かだった。これは……脈ありだろうか?

「何をバカな……っ!?」

搾り出した台詞がそれかよ。伊角サンらしいといえばらしいけど。バカじゃなきゃこんな告白できません。そうは口には出さないけれど、目でまっすぐに伊角サンを見つめ返すことで、本気をアピールしてみた。

「だって、ちょっと待てよ?オレたち男同士だぞ?お前はそう言う意味で好きだって言ってるんだよな?」

小声で問いただしてくる伊角サン。さすがに周りの人が気になるようだ。

「納得できない?……ここではこれ以上話せそうにないね。外、行こうか?」

さすがに外は館内と違って暑い。そのおかげで、こうして人気もないところで、ゆっくり話ができるんだけど。

「なァ、和谷。今まで普通に俺たち、友達同士だったよな?それが何で、その……好きとかそう言うのになるんだ?」
「何でっていわれてもなぁ。ふと、そう言う風に思っちゃったんだもん。仕方ないじゃん?」
「ふとって……、そんな簡単に言うなよ……。だいたい、いつからそんな……」
「3日前から。」
「なんだって!?バカにするのもいいかげんにしろよ?そんな、気まぐれみたいな感情で年上を振り回すんじゃない!」

かなり怒りレベルが上がってきた。別に、バカになんてしてるつもりはこれぽっちもないんだけどな。こうなってくると、オレもついつい売りことばに買い言葉で返してしまう。

「年上年上って、そんなにえらいのかよ?こんなこと、気まぐれで言うはずないだろ?オレは本気なんだ。」
「だからどうして、そんなついこないだ生まれた感情を本気だなんて言えるんだよ?そもそもなんで俺が?」
「理由なんてあるかよ。伊角サンだからだ。それだけ。」
「分からない。和谷が分からないよ、俺は!」
「ああ、オレだって今伊角サンが分からなくなったね!素直にオレの気持ちに耳傾けてくれよ!」

唐突に声を荒げてしまったオレを、伊角サンは泣きそうな目で見つめたあと、唇をゆがめて、視線をそらしてしまった。なんだか、今すごく、心に痛みが走った。オレは何でこんなにムキになってるんだ?こんなはずじゃなかったんじゃないのか?

「……ゴメン、今日はもう帰る。」

そう、小さくつぶやき、伊角サンはオレに背を向け、一人で帰ってしまった。なぜだか、伊角さんの背中が見えなくなるまで、オレはその場にたち尽くしていた。追いかけろよ。なぜ追いかけてもう一度、あの袖を引っ張らない?どうして一歩が踏み出せない?オレは、なにかを間違えてしまったのだろうか?もっと考えれば良かったのか?時間をかければ良かったのか??

次の日から、いつものように二人で連絡を取り合って、待ち合わせをするようなことはしなくなった。




「慎一郎?今日も家にいるの?いくら暑いからってこもってちゃだめよ?」
「いーから!さっさと仕事行きなって。」
「ハイハイ。もう、ほんとこの子はいつまでたっても……」

いつまでたっても、なんだって言うんだ。そうさ、オレはもう18さ。ぐずぐずしていていい年齢じゃないことだってのは痛いほど分かってる。分かってるんだ。

ここ数日、ずっと家にこもっているのは確かだった。決して外が暑いからとか、めんどくさいからとか、そんな理由じゃあない。いつも一緒にいたあいつが、気づくと隣にいたあいつが、唐突に俺を好きだと言ってきた。まるで、上から冷水を浴びせられたような衝撃だった。次の瞬間、身体中が熱くてどうしようもなくなった。自分でも、耳まで赤くなるのを自覚したほどに。水族館での不意打ちが、今でも頭の中でオーバーラップする。夢か幻聴か、そんなことまで考えた。だって俺は、全く同じ気持ちを、もう一年以上も抱いてきていたのだから。

しかし、一瞬の舞い上がった気分から、落ちるのは早かった。当たり前だ。今まで全くそんな気が和谷にないからこそ、自分は気持ちを押し殺してきたのだ。和谷は一体どんなつもりで、告白をしてきたのか。自分をからかっているんじゃないのか。次から次へと不安が膨れ上がって、溢れ出してきて……今にして思えば、あんまりな対応をしてしまったように思う。馬鹿にするなだの、そんなようなことを言って和谷を非難した気がする。もう、気持ちが高ぶってはっきりと何を言ったかは思い出せないのだが。そしてそれに対して、和谷もムキになって言い返してきて……お互いの気持ちがひどくずれてしまっていることに気づいた俺は、その場を後にした。冷静にならなくてはならない。これは気楽に考えていいことじゃないはずだ。そもそも、俺たちは男同士で、院生仲間で。よく一緒に行動を共にしていたとはいえ、それ以上の関係でもなんでもなくて。だから、俺は。そもそも、俺は。〜〜〜〜ああ!なんなんだ、一体。この一年、悩みつづけた俺のこの気持ちは、なんだったんだ!?全てムダなことだったのか?

自室で身悶えていた俺は、だいぶ長いこと家の電話の呼び出し音がなっていたことにはっと気づいた。どたどたと慌てて部屋を出、リビングへ駆け込む。こんなとき、子機があればと思うのだが……伊角家はずっと昔から、つまらない電子音しかならすことのできない旧型のプッシュホンだった。

「ハイ、伊角です。」
『……伊角サン?オレ。』
「……!」

聞きなれた、和谷の声だった。電話ごしだが、明らかにいつもの元気さや強引さはない。自分としては、まだ考えのまとまっていない今の状態で、和谷との会話は避けたかった。

「ごめん、和谷、今俺から話せることはないから。」
『ちょっと待って!おい、伊角サ』

和谷の声を遠ざけるように受話器を置いてしまった。

情けないとは思う。けれど、今は本当に言葉が見つからない。俺は、多分今の和谷が俺を想うよりも、ずっとずっと強く和谷のことを想っている。はじめのうちは、気の迷いや勘違いかとも思って、何度もその気持ちを否定してきた。でも、どうしても押さえられない気持ちを認めざるをえなくなった。和谷を、友達としてではなく……恋愛対象として、好きだと思っている自分。和谷とずっと一緒にいたいと願う自分。和谷の無邪気な笑顔がまぶしいと感じる自分。全部が自分の欲望であり、望みであり。やっと、そんな気持ちを自分で認め、それでもまったくそんな気のない和谷を目の当たりにし、感情を押さえつけ……ついこないだまで過ごしてきた。俺がこんなにも悩んだ末、想いを秘めていたというのに、あいつは……いともあっさりと自分の気持ちを認め、速攻で行動に移してしまった。その変化に追いつく間も俺に与えぬまま。そりゃ一瞬は嬉しさとか、幸せを感じたことは事実だが、次の瞬間こみ上げてきたのは、言葉にできぬ怒りだった。どうしたってそんな付け焼刃のような感情を信用などできるはずがない。どうしたらいいんだろう。俺は、どうしたら??




それからまた数日がたった。結局悶々と家の中で過ごしてしまった俺は、いい加減そろそろ外に出なくてはと思いはじめていた。

「ちょっと出てくる。」
「ハイハイ、さっさとどこへでもいってらっしゃいな。まったく、もやしっ子なんだから……」

いまどきもやしっ子はないだろう、という突っ込みも入れる気は起きなかった。とにかく、頭を空っぽにしたくて、何も持たずに玄関を出た。今日も日差しが鋭い。まだまだ残暑は厳しい、といったところか。玄関を出て、一本道をとりあえず公園に向かって歩いてみることにした。
見慣れた公園に、子どもたちの姿は見当たらなかった。この炎天下に、むざむざかわいい子を出す親はいないらしい。どうにも保守的な世の中になったものだ。誰もいない公園。誰も……
いた。人影が一つ。木陰のベンチに。

「和谷?」
「……あ、伊角サン。」

お互い間抜けな声だったと思う。どうして和谷がそこにいるのか、問いただしたくてしょうがなかったのだが、なぜか俺には分かった。分かってしまった。

「伊角サン……オレ、さ。たくさんたくさん、考えたぜ。自分の気持ちも、何度も疑ってみたぜ。」
「……ああ。」
「でもさ、結局かえってくるとこおんなじ。最初っから同じだったんだ。」
「……。ああ。」
「好きなんだよね。どうしても。伊角サンの笑顔や、仕草の全てがまぶしく見える。これがオレの理由。」

まっすぐと、そして曇りのない瞳でそう言った和谷は、なんだか前に会ったときよりも大人っぽく見えた。和谷にここまで言わせてしまったのは、俺の責任だ。俺だって……もっと勇気を持つべきだった。余計なことを考える前に、自分の気持ちに正直になるべきだった。ついさっきまで迷いに迷って、苦しくてしょうがなかったはずの俺の心は、和谷の真摯なまなざしを前に、あっという間に晴れ晴れと開放されていった。和谷が、いい加減な気持ちでこんなに大事なことを言うはずがない。そんなこと、誰よりも分かっているはずだったのに。それだけ、ずっと見てきたはずなのに。和谷に対して、とても失礼だったとさえ思う。俺は、結果として、和谷をまったく信じていなかったことになるのだから。

「ごめんな、和谷」

口を突いて、素直に言葉が出てきた。

「何で伊角サンが謝るんだよ。オレが無鉄砲に気持ち押し付けて、伊角サン困らせたんだ。オレが悪いんだ。」
「違う。……違うんだ、和谷。」

何が違うんだ、という顔で和谷は俺を覗き込んできた。勇気を出せ。ここで言わなければ。俺の気持ちを。俺の全てを。

「俺のほうが……ずっと、前から。」

か細い声しか出ない。くそ、どうしてだろう、いざとなるとうまく言えない。

「え?何?聞こえねぇよ、伊角サン?」
「ずっと前から、お前よりもずっと前から、和谷が好きだったんだ!」

たった2人しかいない公園に、染み渡るひぐらしの声。そう、さっきまでまったく耳に入ってはいなかったが、うるさいほどに蝉が音楽を奏でていた。
鳩が豆鉄砲を食らった顔、というのを表現するのならば、まさに今、和谷の表情がそれだった。とんでもないところからボールが飛んできて、後頭部に当たったような、そんな驚きの顔。そしてまた自分も、思った以上に大きな声で出てしまった絶叫告白に、慌ててあたりを見まわすというまぬけっぷりを披露して……フッと交わったお互いの視線がおかしくて、思わず同時に吹き出した。

「あっはははは、伊角サン、サイコ〜〜!」
「わ、和谷だって……なんだよ、その顔!」

ここ数日のわだかまりが、あっという間に消えてしまった。いつもの二人の会話に、戻ることができた。

「お前さぁ。まさかずっと毎日この公園に来てたわけ?」
「だってしょうがねぇだろ。伊角サンに拒絶されて、のこのこ会いに行くのはみっともねぇし。かといって離れてるとすごい不安になるし。ぎりぎりの距離で、色々考えてたんだってば。」
「お前ってヤツは……。」
「ヤツは?」
「……調子に乗るな、そうそういい台詞なんて言ってやらん。」
「ちぇっ、相変わらずだよな〜」

俺たちの恋は、
オレたちの恋は、
いかにも夏らしい夏に、始まった。

*・*・*

恋をするのに、時間とか理屈も必要だよな。/
恋をするのに、答えを出さなきゃはじまらない。

*・*・*                                                   To be continued……